名盤ライブ Vol.2
eyes
渡辺美里
2016年3月12日(土)
東京 - Zepp DiverCity
2016年3月20日(日)
大阪 - Zepp Namba
東京 - Zepp DiverCity
2016年3月20日(日)
大阪 - Zepp Namba
eyes
渡辺美里
Side One
- SOMEWHERE 作曲・編曲:小室哲哉
- GROWIN’ UP 作詩:神沢礼江/作曲:岡村靖幸/編曲:後藤次利
- すべて君のため 作詩:神沢礼江/作曲:岡村靖幸/編曲:後藤次利
- 18才のライブ 作詩:竹花いち子/作曲:亀井登志夫/編曲:大村憲司
- 悲しいボーイフレンド 作詩・作曲:大江千里/編曲:後藤次利
- eyes 作詩:戸沢暢美/作曲:木根尚登/編曲:西本明
Side Two
- 死んでるみたいに生きたくない 作詩:戸沢暢美/作曲:小室哲哉/編曲:後藤次利
- 追いかけてRAINBOW 作詩:渡辺美里/作曲:白井貴子/編曲:後藤次利
- Lazy Crazy Blueberry Pie 作詩:神沢礼江/作曲・編曲:岡村靖幸
- きみに会えて 作詩:神沢礼江/作曲:小室哲哉/編曲:清水信之
- Bye Bye Yesterday 作詩:渡辺美里/作曲:岡村靖幸/編曲:清水信之
01
THE LIVE
30年という時間を飛び越えるライブだった。それは例えば、デジタルリマスターを施された往年の名画を最新設備が整えられた映画館で観直すのに似ている。かつて心をときめかせたストーリーはそのままに、以前は少し輪郭がはっきりしなかった細かなエピソードまでしっかり確認できる。
しかも、この日の体験がより素敵なのは、かつて心ときめかせたストーリーをいっそう鮮やかに再現してくれたのが、この日のために勢ぞろいした腕利きバンドの確かな技術と深い愛情に裏打ちされた演奏によるものだったこと。
1stシングルのプロデュースを担当した中村哲がうねるようなサックス・ソロを聴かせ、30年前に新宿ルイードで行われた1stライブを見に行っていたという有賀啓雄のベースがアンサンブルのボトムを支えた。昨年行われた美里の全県ツアーでバンド・マスターを務めたパーカション、スパム春日井が80年代的サウンドの装飾を2016年的に輝かせ、美里の作品で数々の名演を残した青山 純の正統的な後継者、小笠原拓海がタイトなドラミングで音楽をドライブさせていった。
そして、都立松原高校の先輩コンビにして、美里のキャリアを語る上で欠かすことのできない二人、清水信之と佐橋佳幸。この日以降、メンバーの間ではちょっと流行りそうな「校風ですから」という言葉は、その表面的な意味以上に、二人と美里が共有している音楽的感性と厚い信頼感を言い表しているのだろう。
もちろん、なによりも素晴らしいのは美里の歌声だ。「GROWIN’ UP」の冒頭、♪愛してると答えてもMaybe♪という一節を聴いただけで、30年という時間を何度も往復できる。歌声からあふれ出すように伝わってくるエネルギーの高まりは変わらず、しかし短くはない時間をくぐり抜けたふくよかさと艶を感じさせるその声質が紛れもなく今を生きる美里の現在を伝えているからだ。
あるいは、この日の「きみに会えて」と聴いて、あのオリジナル・バージョンから浮かび上がる可憐な主人公がひたむきに静かな情熱を燃やしながら過ごしたであろう時間を、オーディエンスは自らの30年と重ね合わせずにはいられなかったに違いない。
「eyes」のイントロに乗せて告げられた「A面最後の曲です」という言葉に客席が反応する。やはりオーディエンスの多くは、レコードをターンテーブルに載せて針を落とし、美里の歌に耳を傾けた世代か。あるいは、A面が終わって裏返したのは、レコードではなくカセットテープだったかもしれない。アルバムの曲順通りに演奏されると、そんな記憶とともに30年前の生活の一場面が甦ったりする。もっとも、目の前で繰り広げられる演奏は、レコードやカセットとは違って、曲が進むほどに熱を帯び、思いは深まる。
つまりは、この日だけの『eyes』が新たに記憶されることになる。会場で手渡されるTHE BOOKとTHE DVDが将来、この日だけの『eyes』を何度も立体的に蘇らせるのだろう。
アルバム『eyes』が、30年の時を超えて、未来へとつなげられたライブだった。
しかも、この日の体験がより素敵なのは、かつて心ときめかせたストーリーをいっそう鮮やかに再現してくれたのが、この日のために勢ぞろいした腕利きバンドの確かな技術と深い愛情に裏打ちされた演奏によるものだったこと。
1stシングルのプロデュースを担当した中村哲がうねるようなサックス・ソロを聴かせ、30年前に新宿ルイードで行われた1stライブを見に行っていたという有賀啓雄のベースがアンサンブルのボトムを支えた。昨年行われた美里の全県ツアーでバンド・マスターを務めたパーカション、スパム春日井が80年代的サウンドの装飾を2016年的に輝かせ、美里の作品で数々の名演を残した青山 純の正統的な後継者、小笠原拓海がタイトなドラミングで音楽をドライブさせていった。
そして、都立松原高校の先輩コンビにして、美里のキャリアを語る上で欠かすことのできない二人、清水信之と佐橋佳幸。この日以降、メンバーの間ではちょっと流行りそうな「校風ですから」という言葉は、その表面的な意味以上に、二人と美里が共有している音楽的感性と厚い信頼感を言い表しているのだろう。
もちろん、なによりも素晴らしいのは美里の歌声だ。「GROWIN’ UP」の冒頭、♪愛してると答えてもMaybe♪という一節を聴いただけで、30年という時間を何度も往復できる。歌声からあふれ出すように伝わってくるエネルギーの高まりは変わらず、しかし短くはない時間をくぐり抜けたふくよかさと艶を感じさせるその声質が紛れもなく今を生きる美里の現在を伝えているからだ。
あるいは、この日の「きみに会えて」と聴いて、あのオリジナル・バージョンから浮かび上がる可憐な主人公がひたむきに静かな情熱を燃やしながら過ごしたであろう時間を、オーディエンスは自らの30年と重ね合わせずにはいられなかったに違いない。
「eyes」のイントロに乗せて告げられた「A面最後の曲です」という言葉に客席が反応する。やはりオーディエンスの多くは、レコードをターンテーブルに載せて針を落とし、美里の歌に耳を傾けた世代か。あるいは、A面が終わって裏返したのは、レコードではなくカセットテープだったかもしれない。アルバムの曲順通りに演奏されると、そんな記憶とともに30年前の生活の一場面が甦ったりする。もっとも、目の前で繰り広げられる演奏は、レコードやカセットとは違って、曲が進むほどに熱を帯び、思いは深まる。
つまりは、この日だけの『eyes』が新たに記憶されることになる。会場で手渡されるTHE BOOKとTHE DVDが将来、この日だけの『eyes』を何度も立体的に蘇らせるのだろう。
アルバム『eyes』が、30年の時を超えて、未来へとつなげられたライブだった。